さてと、どう紹介したものか。
いろんな意味で難解なものに手を付けてしまったかもしれない。
だったら紹介しなければいいじゃない…なんて頭のなかの誰かが言いそうだけど、そうもいかない。
寡作な著者の近著ともなれば、ここで取り上げねば次はいつになるかわからないから。
著者は高村薫。
かつて上司に薦められて手にした傑作『リヴィエラを撃て』は、これまでにないほどの衝撃をもって私の読書歴の中で大きな爪痕を残している。てっきり「高村薫」は男性だと思ってしまったほどの男前な筆致。世界の表と裏を舞台にしたスケールの大きさに、よもや日本名を騙った外国人ではないかと疑ったのも一度や二度にあらず。それから『マークスの山』や『レディ・ジョーカー』を手に取り、紡ぎだされるシリアスな世界観の虜になった。
書店の平置きで数年ぶりに見かけた著書は、はじめて書いたというブラックユーモア小説。
ミステリバリバリの著者の新境地に胸が高鳴った。
ところが「途中リタイア続出!」とまで叫ばれ、同書はいろんなところで酷評されている。
ただ、誤解を恐れずに言えば私は十分楽しめたのだ。
過疎化の進むとある田舎を舞台に、老獪な四人組が創造する世界はとても奇妙で、彼らから紡ぎだされる言の葉は流暢で下品で美しい。各所に散りばめられた笑いどころは、もちろんゲラゲラではなく、シニカルでもっと言えば挑戦的。それでも、あえてたくさんのツッコミどころを用意して、読者を物語の世界へ引きこもうとする手法は間違いなく高村薫なのである。
でもでもたしかに、世界に通じるまでの高いブラックユーモアさ加減に高村薫を騙った外国人ではないかと疑ったのも一度や二度にあらず。
思うに、あの高村女史が眉間にしわ寄せながらこれを書いたところを想像することこそが、同書の最も大きなブラックユーモアなのではないかと睨んでいる。