毎年、6月中旬以降に必ず一度は京都へ行く。
理由はいくつもあって、そのうちの一つが加茂茄子の漬物を買って帰ること。
中元代わりとしてお世話になった方々へお贈りするためだ。
水茄子ならどこでも売っているけれど、加茂茄子となると京都でしか出回らない。
夏の京都が好きなボクとしては、ぜひともその季節感を味わってもらいたいのと、
いわゆる「初物を食べると75日寿命が延びる」という俗習にちなんで、毎年そうしている。
もちろん行きつけのお店は京都の台所「錦市場」の某漬物店。
最初に行くと荷物が増えてその後の移動が困難になるため、
必ずほとんどの予定を済ませてから向かうわけだが、
その直前に決まって“まいる”のがこの「錦天満宮」だ。
場所は錦市場(錦小路)をまっすぐ東へ進んだ突き当り、新京極商店街の中。
手前に構える鳥居はテレビで何度か紹介されているほどのかなりな珍鳥居で、
明神鳥居の特長である笠木(かさぎ)、島木(しまぎ)、貫(ぬき)の部分が
両隣の建物の中に突き抜けてしまっていることで大変有名。
天満宮といえば、御祭神は天神さんであり、つまりは菅原道真公。
実在していたヒトが祀られたはじめての神様で、いまや誰もが知る学問の神様である。
そのいきさつについては話し始めるとかなり長くなるので、いずれまたの機会に。
境内は思いの外かなり小規模で、そのうえ手水舎が2つもあって、たちまち数人の参拝客で手狭になるほど。
さらにいえば、からくりのおみくじやロボット紙芝居など、機械じかけの出し物(?)が4台も配置されていて
それらが余計に窮屈さを演出していた(しかも使われているところを未だかつて見たことがない)。
なんだか雑然とした雰囲気が否めない境内だが、不思議と違和感は湧いてこない。
賑やかな繁華街と聖域をあえて切り離すことなく、親近感や一体感で人々を受け入れてきた一つのカタチなのだろう。
そのせいか立ち寄る参拝客は後を絶たず、この日も本殿前では常に誰かが拝礼していた。
一方で、本殿横に走る小道には摂末社が整然とお祀りされていて、
その空間に限ってだけ違った空気感に包まれていた(摂末社までお詣りする人が少ないせいもある)。
わずかな敷地の中で賑やかさと静けさの両面を併せ持つ、ある意味で夏の京都が相応しい天満宮。
北野(鎮魂)や大宰府(墓所)とはまた違った庶民的な趣きが、いつしかほっこりした気分にしてくれる。
今年の夏もささやかな贈り物を買える感謝を菅公へ申し上げ、再び表の雑踏へと足を向けた。