大阪・難波から電車または車で、いずれもおよそ約2時間。
大阪湾の弧に沿うように南下すれば辿り着く和歌山の漁港・加太(かだ)。
ひと昔前までは、春の終わりから夏の始めにあたるこの時期なら
大勢の親子連れが潮干狩りに興じる姿で賑わいを見せていた同所だが、
それも海中の環境悪化により7年前から中止されて以来その面影は微塵もなくなった。
まさに“ひなびた”という形容が、良い意味でも悪い意味でもしっくりハマる
のどかでどことなくうら寂しい海辺の風景が広がる漁港。
そんな港を見守るようにどっしり腰をおろしているのが、
全国にある淡島(嶋)神社・粟島神社・淡路神社の総本社とされる淡嶋神社である。
意外なことに海に面していない大きな一の鳥居をくぐり、
ほど近い二の鳥居をぬけると、右手に見事な朱塗りの社殿が姿を現す。
壮麗な姿に見とれるのもつかの間、社殿の周囲になにやらたくさん配置されている。
近づいてよく見てみると…。
それはそれはおびただしい人形の数々!
境内一帯には奉納された無数の人形たちが安置されている。
その多くは日本人形だが、ほかにも熊の置物や招き猫、
たぬきや干支の置物、ぬいぐるみから得体の知れない仮面まで、その種類は多種多様。
実はここ淡嶋神社は、ひな祭りの発祥の地とされており
ひな人形の男びな女びなの始まりは、同社のご祭神である
少彦名命(スクナヒコナノミコト)と神功皇后(ジングウコウゴウ)の
男女一対のご神像がモデルといわれている。
一説では、ひな祭りという名もスクナヒコナ祭りが簡略化されたものだという。
さらに、沿岸の友ヶ島から加太へと遷宮された日が仁徳天皇5年3月3日であることから、
毎年3月3日は願い事を書いた人形を舟にのせて海へ流すという「雛流しの神事」が行われている。
そんなわけで、次第に同社は人形供養の神社として全国から人形が集まってくるように。
中には「髪が伸びる人形」など霊的な力を秘めているとされる人形もあり、
そういった謂れがある人形は地下に祀られているという(現在は非公開)。
当日はその話を事前に知り得た同行者の一人も人形や置物を持参しており、
焼却委託料と供養料(志し)とともに奉納した。
ちなみに受付は仏滅の日を除く、午前9時から午後4時まで。
ミカン箱一杯程度の量につき焼却委託料は500円。
郵送や宅配では受け付けてもらえない。
大神神社のヘビ、住吉大社のウサギ、春日大社のシカといったように
同社も多くのお社と違わず、手水舎は御使様をモチーフにしている。
それがこの口から水を出しているカエル。
このカエルは古事記に登場する多運具久(タニグク)という名の神様で
同社御祭神の一柱、少彦名命の御使様といわれている。
大国主命(オオクニヌシノミコト)の国づくりを手伝った神様として
古事記や日本書紀に登場する少彦名命はとてもカラダが小さく、
昔話で有名な「一寸法師」のルーツになったともいわれる神様。
機敏で知慧に優れ医薬・醸造などを司り、
日本に裁縫の道を初めて教えたとされるため、
同社では毎年2月8日に針祭が行われる。
俗に針供養といわれ、境内には本殿でお祓いされた
古針を納める針塚が備えられている。
境内は本殿の向かって左横方向へ広がっており、
奥へ進むといくつもの摂末社にお参りすることができる。
御祭神の一柱、大国主命をお祀りする大国主社。
先出の御使神、多運具久様を祀る遷使殿(せんしでん)。
淡嶋神社の近くで生まれ、紀州みかんや塩鮭で富を築いた
紀伊国屋文左衛門が江戸に移り住む前に奉納した稲荷社。
そして…。
とりわけ有名なのが、婦人病にご利益があると伝わるこの末社。
閉ざされた格子の向こうには男根女陰をかたどったものがたくさん祀られている。
古くから子授けや安産はもとより、女性の下半身の病を治癒するといわれ
腰巻きにはじまり、パンツやブラジャーなど女性の下着を袋に包んで
絵馬と同じように奉納する風習が今でも残っている。
実は淡嶋神社の境内(一の鳥居と二の鳥居の間)には
土産物や食事を提供する店が4軒存在する。
その中の1軒で食べられる「しらす丼」の大盛りは、磯遊びに来た家族連れや
ツーリングで立ち寄ったドライバーたちから密かな人気を得ている。
丼鉢いっぱいに盛られたしらすの量はハンパなく、
新鮮なしらすを思い存分食べられるとあって、
もはや参拝よりもこちら目当てに訪れる者が少なくないほど。
そんな境内には、ほかにもまだ見どころがたくさん。
同社の周辺には温泉もあり、意外にもポテンシャルの高い和歌山・加太。
忙しない日常の喧騒から距離を置き、潮風が通り抜ける古の聖域を
異なる時間の流れに乗りながら、のんびり過ごしてみるのも悪くない。
淡島神社
〒640-0103 和歌山県和歌山市加太118
南海加太駅から徒歩20分程
073-459-0043
境内自由(宝物殿は入館300円)