そのご由緒は深く、古来より多くの人から篤い信仰を集めてきた大阪は浪速の住吉大社。
全国約2300社余の住吉神社の総本社であり、日本各地からの参詣はもちろん、
摂津国の一宮として地元大阪の人々から「すみよっさん」と呼ばれ今もなお親しまれている。
大阪に唯一残る路面電車(チンチン電車)の阪堺電気軌道阪堺線「住吉鳥居前駅」を
降りるとすぐに見える、堂々たる石の鳥居と巨大な石柱に刻まれた「住吉大社」の文字。
その圧倒的なスケールと風格は、さすが浪速を代表する聖地である。
大鳥居くぐると住吉大社の象徴ともえいる反り橋、
別名「太鼓橋」の袂がわかるほどに見えてくる。
鳥居より手前からでもなんとなく見えてはいるが
対岸が見えないほど反り返っているため、
はじめて参った人はこれが橋の袂とはまず分からない。
かつてはこの橋の近くまで波が打ち寄せていたという。
角鳥居を抜けると、眼前に広がる主祭神4柱のご本宮。
青空に向かってそそり立つ幾つもの千木が、遠目にも凛々しく美しい。
千木といえば、以前「猿田彦神社」で記した
祭神が男神の宮は千木を外削ぎ(先端を地面に対して垂直に削る)に、
女神の宮は内削ぎ(水平に削る)にするという話。
例外も少なくないが、ここ住吉大社はまさにそのとおりで、
二つならんだ第三本宮と第四本宮の千木の違いを比較しやすい。
その第四本宮に祀られているのは、息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)。
つまり、神功皇后 (じんぐうこうごう)であり、応神天皇(おうじんてんのう)のご聖母。
夫の仲哀天皇が香椎宮にて急死した後、住吉大神のご神託を得て、
お腹に子ども(のちの応神天皇)を妊娠したまま筑紫から玄界灘を渡り、
朝鮮半島に出兵して新羅・高句麗・百済の国を攻め朝貢を約したという(三韓征伐)。
まさに日本神話における戦の女神。ギリシャ神話のアテナを彷彿させる知慧と武勇。
ゆえに必勝を授ける女神ともされるが、女性の守り手として懐妊や出産の守護神でもある。
第一本宮・第二本宮・第三本宮は住吉三神が祀られている。
伊邪那岐尊が黄泉国の汚穢を洗い清める禊を行ったときに生まれ出た三柱の神。
瀬の深いところで生まれた底筒男命(そこつつのおのみこと)。
瀬の流れの中間で生まれた中筒男命(なかつつのおのみこと)。
瀬の浅い水表で生まれた表筒男命(うわつつのおのみこと)。
住吉とはそもそもは「スミノエ」と呼び、澄んだ入江のことを意味する。
かつては波打ち際にあった同社だけに、祀る住吉三神とはつまり海そのもの。
広大で深い海を司り、その上層と中層と下層を守護する。
多くは住吉三神と総称されるが、筒男三神や住吉大神ともいわれる。
また、海を司ることから航海の神とされ、古くから漁師や船乗りの信仰が篤い。
(※伊邪那岐尊の禊ぎ祓いの際、同様に海を司る綿津見三神も誕生している)
海に囲まれた我が国において、海神はことさら重要な意味を持つ。
海原をまかされた素盞鳴尊しかり、龍宮の王・大綿津見神しかり。
強き神々はいずれも海を司り、海の彼方より迫る脅威から日の本を守り続ける。
周囲から孤立し、八方ふさがりでどうにも進めなくなったとき、
住吉三神は妙策につながるインスピレーションを授けてくれるだろう。
「我見ても 久しくなりぬ 住吉の 岸の姫松 いく代へぬらむ」
また、ここ住吉大社は古くから白砂青松の風光明媚なロケーションだったっこともあり、
万葉集や古今和歌集などの歌集に数多く歌が詠まれている。
それは、ときに和歌で神託を与えるという、
和歌の神にして和歌三神の一柱という海神の意外な一面の名残のようでもあり、
命がけで大海原に身を投じていた荒々しい海の男たちの舟唄のようでもありおりはべり。