大阪阿倍野区の南西部に位置する北畠。
兵庫の芦屋、奈良の登美ケ丘に並ぶ高級住宅地、
大阪の帝塚山に連なり、周囲は閑静な趣を醸し出す。
「北畠」は南北朝時代に当地で討ち死にした
北畠顕家(あきいえ)に由来する。
その北畠顕家公と父の北畠親房公(ちかふさ)を祀る
旧別格官幣社がここ阿部野神社である。
鎌倉の世が終わり、室町の初期に至るまでの間、
日本の皇室が南北2つに別れた南北朝時代。
御祭神の北畠父子は、後醍醐天皇が開いた
南朝(吉野朝)の公卿(公家)であり武将である。
この日は生涯で二度目の参詣で
前回と同じように雨が降っていた。
社務所に隣接する建物から
カラオケの陽気な美声が聞こえる。
曲目は「てんとう虫のサンバ」。
当日は先勝で、時間はちょうどお昼すぎ。
午前中に同社にて結婚式が行われ
午後から披露宴が催されているのが容易にわかる。
境内には祭神・北畠顕家公の銅像があり、
年若くして戦場で散っていった勇者を称える歌
『花将軍 北畠顕家』の歌詞も掲げられていた。
菊の御紋と北畠家一門の家紋・笹竜胆があしらわれ、
大阪城のような緑の屋根が印象的な社殿は
緩やかなスロープと手すりが備えられ
年配の参詣者にも優しいやや近代的な趣き。
※現社殿は昭和43年に再建された
この社殿の左右から裏に続く参道を進むと、
本殿後方の奥宮(御魂振之宮)へ。
思いの外狭いそこは本殿と違った空気に満ちていて
カメラを向けることすらためらわれるほど。
御祭神は天照大御神、三輪大神、少彦名大神、菅原道真公の4柱。
さらに雌雄の白蛇と伏牛が神使いとして祀られていた。
さすがは「一願一遂の宮」と称される願掛けの社。
ほかに摂末社として拝殿の西側には
北畠家家臣をお祀りした勲之宮と
当社歴代宮司や関係者をお祀りした祖霊社が、
西側参道を上がった所には
豊受稲荷大明神、高倉大明神、白鷹大明神の3柱をお祀りした旗上稲荷社、
記紀で有名な大宮能売大神(天宇受売命)をお祀りした旗上芸能稲荷社、
阿部野神社の土地を守護されている神様(白姫大明神)をお祀りした土宮がある。
天皇中心の社会へ復古させることを目的とした
後醍醐天皇による建武の中興と開かれた南朝。
摂末社にそうそうたる神々が配祀されているのは
南朝に忠誠を尽くし支え続けた北畠父子を讃える
多くの人々の熱い想いの現れのように感じた。