お初天神(露天神社)

鳥居(露天神社)

鳥居(露天神社)

「お初天神」という通称の方が、耳に馴染みのある大阪を代表する菅公の社。
正式名は「露天神社(つゆのてんじんじゃ)」。
かつて菅公が当地で詠まれた歌「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」に因るとか、梅雨に祭礼をすることからとか、梅雨時期になると清水が湧き溢れる井戸があるからとか、諸説いろいろあるなか、結局、先の通称「お初天神」が一般的になった。

恋人の聖地

恋人の聖地

元禄16年(1703年)に当社の境内で実際にあった心中事件を題材にした、近松門左衛門による人形浄瑠璃「曽根崎心中」。
そのヒロインの名前が「お初」だったことから、いつしか「お初天神」と呼ばれるようになったという。
今でも境内の一角では「曽根崎心中」にちなんだ演出がされている。

恋人の聖地

恋人の聖地

ところがである。
実は、当社はもともと菅公の社ではない。
曽根崎・梅田地域の総鎮守として古来より多くの崇敬を集める当社は、起源を6世紀の欽明天皇の頃とされ、それはまだ菅公こと菅原道真が生まれる前のこと。

正式名であれ、通称であれ、てっきり菅公が主祭神と思いがちだが、そもそもの御祭神は少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)と大己貴大神(おおなむちのおおかみ)の国づくりペアなのだ。
記紀ゆかりの神であり、病気平癒、結縁、武勇といった強大な加護を持つ大神。
また、かたや恵比寿でもあり、かたや大黒でもあり、誠に偉大な二柱である。

御本殿(露天神社)

その後、元和8年(1622年)3月に、大阪夏の陣の兵火で焼失した当社社殿を再建する際、その御霊代として後陽成天皇より御神名御宸筆を賜り、菅公を相殿に合祀。

さらに、明治42年の「北の大火」で被災した難波神明社を明治43年に合祀し、御本殿に天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)と豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)の、いわゆるお伊勢さんの内宮と外宮の二柱をお祀りすることとなる。

つまり、当社の御本殿には菅公以外に、記紀の神々が四柱お祀りされていることになる。

由緒略記(露天神社)

由緒略記(露天神社)

くわえて、とき同じく「北の大火」で被災した社殿から水天宮と金比羅宮が境内社として斎祀。ともにかつては霊験あらたかと、ご縁日には参詣人が群れをなしたと伝わる御神霊であったとか。

水天宮と金刀比羅宮(露天神社)

水天宮と金刀比羅宮(露天神社)

御祭神は天乃御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)、安徳天皇(あんとくてんのう)、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)、崇徳天皇(すとくてんのう)、住吉大神(すみよしのおおかみ)、他二柱。
いずれも水の神であり、安産・児童守護の神である。
他二柱とされているのはおそらく、水天宮に祀られた安徳天皇の母である建礼門院と祖母の二位の尼と推察される。

水天宮と金刀比羅宮(露天神社)

水天宮と金刀比羅宮(露天神社)

また「北の大火」によって近在各地に祀られていた四社の稲荷社も烏有に帰し、やはり翌明治43年に当社境内地に合祀。玉津大神、天信大神、融通大神、磯島大神が開運稲荷社としてお祀りされている。
こちらもかつては皮膚病の治癒にご利益があるといわれ、お百度を踏む人々が絶えなかったという強大な御神霊。

開運稲荷社(露天神社)

開運稲荷社(露天神社)

開運稲荷社(露天神社)

開運稲荷社(露天神社)

手水舎の前にはきちんと祓戸社もあり、瀬織津比売(せおりつひめ)、速開都比売(はやあきつひめ)、気吹戸主(いぶきどぬし) 、速佐須良比売(はやさすらひめ)の祓戸四神がお祀りされている。

祓戸社(露天神社)

祓戸社(露天神社)

境内は本殿を前にして首を左右にふるだけで、すべてを見渡せるほどの大きさである。
その境内に、合祀とはいえ、これほどのそうそうたる神々がご奉斎されている。
なるほど曽根崎・梅田地域の総鎮守ではあるが、なにかを護るための一角となっているのではないか…と否応なしに考えさせられる不思議なお社。
ともに大阪を代表する神社である、難波八阪神社、生國魂神社、住吉大社大阪天満宮今宮戎神社との位置関係なんぞを考察してみると、なにか面白い発見があるかもしれないし、ないかもしれない。

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2017年3月29日

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