読む一覧

『ナミヤ雑貨店の奇蹟』

物語は、強盗を働いた3人組が一時身を潜めるために とある“あばらや”に逃げ込むところから始まる。 そこはかつて、いろんな人の悩みの相談に乗っていた “ナミヤ雑貨店”という不思議なお店だった…。

『黒百合』

父の友人に招かれて六甲山の別荘で過ごした夏休みを振り返る「私」の視点と、その父の友人が若かりし頃、勤務先の社長のヨーロッパ視察旅行に随行したときの出来事を語る「私」の視点と、その勤務先である宝急電鉄の車掌を勤めるとある「私」の視点、主にこの3つの視点から構成された上質な叙述トリックミステリ作品。

『化物語』

高校生の阿良々木暦(あららぎこよみ)が個性的な少女たちと出会い、自身と彼女らが遭遇する怪異を解決していく物語。登場するキャラクターの多くが人間離れしているものの、とても人間臭くウエッティーで、かつ官能的な危うさを秘めている。文芸誌『メフィスト』で連載され、アニメ化されて爆発的にヒットした西居維新の代表作。

『四人組がいた。』

『マークスの山』『リヴィエラを撃て』『レディー・ジョーカー』といった社会派ミステリの傑作を生み出した高村薫の新境地。過疎化の進む田舎を舞台に、そこで暮らす老いた四人組を主人公にしたブラックユーモア小説。

『獏の檻』

道尾秀介が8年ぶりの描きおろした『獏の檻』(新潮社)。行間に漂う粘着感、喪失感、焦燥感。それでいて、どことなく本能的で官能的。いつにも増して重く、そして暗い。それでも道尾秀介流ともいえる、話の展開は読み手を飽きさせず、そのまま最後のどんでん返しへと突き進んでいく

『ぬけまいる』

お以乃とお志花とお蝶のアラサー女子3人が、伊勢神宮へ至る道中でいろんな事件に巻き込まれる。たくさんの人との出会いと別れ、初めて知る自分以外の人生、幼なじみの知らなかった一面、自分の弱さ、本当の気持ち…。ゴールの伊勢神宮ではたして3人はどうなっているのか、読むほどに知りたくなってページをめくる手が早くなる。

『まほろ駅前狂騒曲』

ある日、書店の新刊コーナーに並んでいる装丁をいつものようにちらちらと物色していると、どーんと目に入ってきた『まほろ駅前狂騒曲』。 吸い殻入れのような空き缶の上に二本のタバコが歪なカタチで直立した写真のインパクトに惹かれ、思わず手に取ったのがついこの間のよう。 著者は三浦しをん。 2012年本屋大賞受賞作品『舟を編む』で脚光を浴びた今をときめく人気女流作家である。 この『まほろ駅前狂騒曲』は、すでに中短編で構成された『まほろ駅前多田便利軒』とその続編『まほろ駅前番外地』に続くシリーズの3作目にあたる。 そんなことは一切知らず、読み始めて気づいたわけだが、それでも違和感なく物語の世界へのめり込むことができた。 まほろ市という架空の街を舞台に主人公である便利屋の多田とその幼なじみで居候の行天が依頼を介して様々な事件に巻き込まれる。 それだけをいえば、ほかにもよくありがちな設定だが、綿密に考えられた二人のバックグランドと微妙な関係性、そして彼らと関わる登場人物たちの豊かな人間性が物語全体にリアリティーと厚みを与えている。 また、カルトや薬物、高齢化など重くなりがちな題材を扱いながらも三浦しをんならではのやわらかい筆致がほどよい緩衝材として働き、陰鬱なものに偏らないバランスのとれた展開が読んでいて心地いい。 ちなみに同作は今月中旬、映画化された劇場版が公開される。 それ以前にも前シリーズがすでに映画とTVドラマで映像化されており、いずれも主人公・多田を瑛太、行天を松田龍平が演じている。 経験上、素晴らしい原作ほど映像化で裏切られるという傾向にあるが、前出の『舟を編む』同様、レアなケースであってほしいと願うばかり。

『村上海賊の娘 下巻』

さてさて、下巻である。 凹みまくった村上の姫が瀬戸内へ帰ってきて 父・武吉の思い通りに慎ましく豹変したはずが、 やはりそこは海賊王の娘。 自ら化けの皮を剥がすのもまた早い。 姫の復活からそれほど間をおくこともなく、 海賊同士のプライドをかけた木津川口の合戦へ。 斬り斬られ、騙し騙され、落とし落とされ。 海上で繰り広げられる命のやりとり。 数日前に知己を得た者同士であっても、 敵となったからには「覚悟せい」と 容赦なく刃物が振り下ろされる。 そんな敵味方入り乱れた戦場の様子を ワクワクしながら目で追っていると、 ふと頭をよぎったのがチャンバラである。 そのとき気づいた。 これは「歴史小説」ではなく「時代活劇」なのだと。 「大河ドラマ」ではなく「水戸黄門」や「桃太郎侍」なのだ。 さしずめ村上吉継・村上吉充は助さん格さん、 八兵衛は村上景親、風車の夜七は鈴木孫一といったところ。 上巻と違わず、無粋に挿し込まれる古書の出典や解説は、 もしかしたら少々荒唐無稽なこの時代活劇に 少しでも現実味を付与したいがためなのではないか。 そう考えると、終盤に見せる景姫の驚異的な戦闘力も 人外のような七五三兵衛のラスボス加減も素直に頷ける。 下巻のほとんどを占める果てしない戦闘シーンは、 さながら印籠を出すまえのお仕置きのようなもの。 素直に読み進めれば、それはとても長い見せ場の連続。 ぜひとも映画化してもらいたい(はるかちゃんで)。

『村上海賊の娘 上巻』

ともかく面白い。 もともと歴史が好きな小生にとって、村上海賊はもとより 戦国時代の登場人物の名を聞くと、それだけで心が踊る。 さらに物語の背景となる木津川口の戦いは 生まれ育ち今なお暮らすこの大阪(大坂)の しかも慣れ親しんだ和泉や河内がメインなのだから。 さりとて、歴史に疎い人であっても大丈夫。 冒頭から数十ページは多少戸惑うところがあるかもしれないが、 ページをめくるたびにどんどんと物語の世界に引き込まれてしまう。 それはおそらく、時代小説特有の小難しい名前が並んでいても、 それぞれがきちんと個性をもったキャラクターとして描かれ、 けっして物語の背景に埋もれることはないからだ。 なかでも主人公・村上景は破天荒にしてとても魅力的に描かれており、 狭い行間を跳ねまわるかのような躍動感あふれる生き生きとした様は、 知らぬ間に読み手のリズムに心地よい緩急をつけて目が離せなくなるほど。 思わず声を出して笑ったのは一度や二度に足らず、 著者・和田竜のキャラクターの立たせ方は見事というほかない。 ただ1点、直前の筋書きに関連する書籍の出典やその解説が随所に登場し、 せっかく気分よく乗っていたそのリズムを断ち切ってしまうことも。 リアルを忘れて物語の世界にのめり込んでいる読者は、 わずか数行のために突然現実的な視点に立ち戻ることになり、 ちょっとした興ざめに陥ることも少なくないだろう。 できれば文中ではなく、各ページの最下段に余白を設け、 そこで文献等による歴史的な考察を行ってもらえていれば、 かえって楽しみ方が増えて良かったのではないだろうか。 とりもあえずこの上巻は、和田流仕込みに肉付けされた 登場人物たちのお披露目といっていい。 それはまるで、壮大な戦が描かれる下巻という盤面へ 彼ら一人ひとりを配していくような作業ともいえる。 得てして魅力あふれる一局は、駒を並べるところから愉しいものなのである。 (続きは下巻にて)

『スペードの3』

『桐島、部活やめるってよ』(集英社)、『何者』(新潮社)などで知られる朝井リョウ氏の最新刊。 相変わらず、登場人物たちの微細な心理描写は秀逸の一言。 人間関係の中で生じる立場の違いや優劣の差などにフォーカスをあて、 各々が心に秘めるエゴや葛藤をひねりのきいた表現で描く手法は、 いずれの著作にも共通する得意技だ。 三部構成になる本作品は、転機を迎える3人の女性が主人公。 看過できなくなってしまった悩みや困難を克服するために 過去に形成したコンプレックスと向き合い、自身のココロに「革命」を起こす。 タイトルの「スペードの3」というのは、 トランプゲームの「大富豪(大貧民)」にあるローカルルールの一つ「革命」からきている。 ある特定のカードが出されたとき「革命」が起こり、 それまでのカードの強さの順位が逆転するというもので、 つまるところ一番最弱だった「3」がとたんに最強になるという。 そんなローカルルールを知らないボクにとって、 その「革命」が意味するところの「立場の逆転」が どうも始終ピンとこなかったのはここだけの話。 とにもかくにも25歳という若さにあって、 人が誰しも持つ優越感、プライド、嫉妬、過剰な自意識など、 そのあたりの醜い心の有り様をどうしてこうも描ききれるのか、そこに尽きる。 また、表現の一言一言に洒落やトンチがきいていて、詩的でハイセンス。 糸井重里も真っ青な、コピーライターも向いているかもしれない。 そういう意味でも、本作はこれまでの作品の集大成のような、朝井エッセンスが盛りだくさん。 ただし! ボクはもう『桐島~』と『何者』でおなかいっぱい。 そろそろ朝井氏自身にも「革命」が必要なのかもしれない。

『祈りの幕が下りる時』

加賀恭一郎シリーズの最新刊。 テレビドラマ『新参者』で阿部寛演じる主人公といえばピンとくる人も少なくないだろう。 その原作『新参者』で練馬署から日本橋署へ異動してきた元警視庁捜査一課の加賀が日本橋界隈を地道に歩きまわり、その街で営む様々な人と触れ合いながら、街のすべてを知ろうとするひたむきな行動の真意がついに本作で明らかにされた。 物語の中心には、源泉を同じくする二本の大きな河が流れている。 一つは、事の発端となる殺人事件。 もう一つは、失踪した加賀の母に関わる謎。 その二本の河はときに枝分かれし、ときに合流しながら、真相という名の海へ流れていく。 その河に浮かぶ舟の船頭役には加賀の従兄弟で警視庁捜査一課の松宮があてがわれ、一方の当事者でもある加賀本人は、あくまで物語のスピードを調整する櫓や櫂のような役回りだ。 そうすることで読者は松宮の目をとおして事件を客観的に俯瞰することができ、『赤い指』(もっといえば『卒業』)から続く加賀の祈りの終幕を静かに見つめることができる。 同シリーズの直前の3作品(『赤い指』『新参者』『麒麟の翼』)を含む全4作に共通うするテーマは苦しいほどにせつなく、それでいて狂おしいほどに愛おしい我が子への愛。 守るものが存在する世界において、その幸せを祈り、その未来の安寧を手に入れるためなら、人はとてつもなく強くなれ、とんでもない狂気をかかえることも厭うことはないのだと、そんなメッセージがこの作品から伝わってくる。 いい年をして人の親はおろか、未だに守るべきものさえ持てない己でありながらも、東野圭吾の描く様々な愛のあり方に触れるたびに目頭が熱くなる。 いつの日か再び、加賀恭一郎に会えることがあるとして、守るべきものが存在する世界へ己の身を投じていたとしたら、今とはもっと違った感じ方をするのだろうか。 できればそんな再会であることを祈りつつ、その日がくるまで楽しみに待つとしよう。

『ペテロの葬列』

ミステリーの女王・宮部みゆきが1年半に及ぶ新聞連載で綴った 主人公・杉村三郎シリーズの単行本化。 どうもピンとこないという人は、昨夏に放映されたTBSのテレビドラマ、 月曜ミステリーシアター『名もなき毒』といったほうが分かりやすいかもしれない。 主人公の杉村三郎には、宮部みゆきにイメージ通りと言わしめた小泉孝太郎を起用し、 同名小説と『誰か Somebody』の2作を原作に劇中設定を再構成。 上々の滑り出しでスタートし、驚異的なヒットにはつながらなかったものの、 好評のうちに終了した今どき珍しいドラマだった。 さて、「毒」がテーマだった前回とは違い、今回のテーマは「嘘」。 タイトルのペテロは、嘘をついた有名な寓話「三度の否認」を意図している。 「マルチ商法」「サイバー被害」といった社会問題を題材に、 そこに巣食う「悪」が伝染する仕組みをつまびらかに描いた珠玉の一作。 序盤のバスジャック内で起きる異様な雰囲気を杉村三郎の目を介して見事に表現し、 後に起こる事件の伏線をさらりと蒔いてしまうあたりはまるでクリスティのごとし。 また、事件と交差するように語られる三組の夫婦の織りなす愛のカタチは、 三者三様でありながら、そのいずれもが悲しくて虚しくて救われない。 衝撃のラストは予想外の展開で、あまりの結末にしばし放心状態になるほど。 良くも悪くも宮部みゆきというストーリーテラーに翻弄されっぱなしの690ページ。 シリーズをとおして登場する今多嘉親会長の真意や、園田瑛子編集長の過去も明らかになるので、 できればシリーズ1作目の『誰か Somebody』から読まれることをオススメしたい。 最後に一言だけ。 どうしても杉村菜穂子が好きになれなかったが、やっぱり今回も好きになれなかった。

『偉大なる、しゅららぼん』

今週末の封切りを前に読み返してみた『偉大なる、しゅららぼん』。 著者は、少し前に新刊『とっぴんぱらりの風太郎』をここで紹介したばかりの万城目学。 なるべく同じ作家を避けるように気をつけていたことなんぞこの際なかったことにして、 ちょっとばかりその魅力をお話したい。 舞台は滋賀県の琵琶湖。 その湖畔にて代々継承されてきた不思議なチカラを持つ一族日出(ひので)家。 その分家の次男坊が、高校入学を機に本家へ修行にやってきたことから事件ははじまる。 日本で唯一城に住む日出本家。真っ赤な制服を着る長男。白馬に跨る引きこもりの長女。 そして琵琶湖に佇む神の島「竹生島」。 冒頭からマキメワールド全開で話が進み、 かつての『鴨川ホルモー』『鹿男あをによし』を彷彿させる壮大なスケールは、 ページをめくるスピートを最後まで緩めることなく駆け抜ける。 過日、著者にインタビューする機会に恵まれた際、 「京都」「奈良」「大阪」と物語を書き上げ(そのときは『プリンセス・トヨトミ』を執筆中だった)、 その次の舞台はもうどこにするのか決めているのか…なんていう不躾な質問に 「今度は特定の地域から離れた、架空の世界を舞台にしたいです」なんてお答えいただいたことを今でも覚えている。 となれば順当に数えると同作がこれにあたるが、どちらかといえばそういう意味では 先出の『とっぴんぱらりの風太郎』がそうなのだろう。 ならば、同作はおそらくその手前に執筆したある種の集大成。 「京都」「奈良」「大阪」の根底に流れる歴史ロマンの大河に、 万城目流の切り口で魔法をかけた前三部作の源泉ともいえるのが、 この「滋賀」の琵琶湖を舞台にした『偉大なる、しゅららぼん』なのではないか。 映画では『プリンセス・トヨトミ』に出演した岡田将生を主人公に迎え、 日出本家長男役に『鴨川ホルモー』に出演した濱田学がコンビを組む。 これまですべての著作が映画化・ドラマ化されているが、 そのいずれも設定を少し変えて制作されている。 その辺りにも注目しながら、来る映画の鑑賞に臨みたい。

『白ゆき姫殺人事件』

3月29日に全国ロードショーされる「白ゆき姫殺人事件」。湊かなえによる同名小説の映画化である。 その予告を映画館で垣間見、なかなか興味深いあらましに刺激され、あわてて書店へ飛び込んだのが昨年末。そのまま手に取ることもなく新年を迎え、つい先日ようやくそのページをめくった。 湊女史お得意の一人称独白形式。まるでドラマの台本のように流れる話の運び方は、脚本家を目指していた彼女ならでは。いつもながら大変読みやすい。これならブログ世代の若者でもすんなり作品の中に入ることができるだろう。 序盤から中盤にかけて、犯人と思しき人物をよく知る関係者の独白証言が取材という形で表現され、隠された心情とともに事件の全体像が露にされていく。そんなところだけを聞くと宮部みゆきの『理由』を彷彿としそうだが、構成はもちろん意図するところはまったく異なる。この作品で著者が言いたかったことは、誰にでもある身近に潜む些細な悪意が連鎖反応しやすくなった社会。「テトリス」や「ぷよぷよ」、いやいや今なら「パズドラ」のコンボのようにハマってしまったら、本人の意志とは関係なく殺人にまで簡単につながってしまえるという現実。こういった些細な悪意がはらむ脅威を題材にするところは、他の湊作品にも多く共通する。 物語の最後の方には、事件の関係者たちが書き込んだ「マンマロー」という「Twitter」によく似たソーシャルメディアのログと、劇中に登場する架空の週刊誌が掲載した事件の記事が時系列に掲出されている。それを目にする時点ですでに読者には犯人が誰なのか呈示されているわけだが、それでもまだ埋まっていないパズルのピースを読み取って埋めてやることで、犯人を含めた本当の意味での全体像が明らかになる。 ソーシャルメディアを効果的に取り入れた同じ湊作品の『高校入試』が先にドラマの脚本であったように、そういう意味では同作品もむしろ映像化向けの作品なのかもしれない。作中で象徴的に扱われる「白ゆき姫」などは映像の方がうまく表現できそうだ。さてさて、映画の公開まであと1カ月と少し。登場人物の設定など少し違うところもあるようなので、映画館に足を運ばれる前にぜひともオススメしたい。

『幸福な生活』

なんでここまで作風を変えられるのだろう。 その幅の広さは宮部みゆきを彷彿とさせる。 著書のすべてに一貫して存在するのは、なりふりかまわない人間の「本音」。 この「本音」を材料に、いろんな料理を作るのが百田直樹なのだろう。 今回はそんな幅広いレシピのなかでもかなりな創作料理、 ブラックユーモアに満ちた全18編からなる短篇集『幸福な生活』をご紹介。 創作料理とした理由の一つは、全編をとおして定められた約束事のせい。 各編の最後の1行は必ずページをめくって現れるという構成になっており、 その1行がまるでジグソーパズルの最後の1ピースのように、 それまでのストーリーのすべて補完し、予想外な結末へと収束させる。 つまり、読み手に巧みな表現で誤った先入観を植え付け、 最後の一言で誤認していた事実を伝えて“どんでん返し”を狙う、 ミステリ小説でいうところの“叙述トリック”が仕掛けられている。 18編すべての話にそういった仕掛けを施すなんて よほどストーリーテリングに自信がないとできることではない。 まあ、ミステリ好きが高じてひねくれた読み方が身についた小生は それでもそうそうミスリードされることはなかったのだけれど。 とりわけ秀逸だったのは、小泉八雲の『雪女』を下敷きにした『償い』。 星新一のショートショートを偲ばせる表現力と話の運び方が絶妙だった。 なかには、読み進めていく過程で最後の真相に気づいてしまったり、 あまりのミスリードの多さに食傷気味になりそうなものもあったが、 総じて、小気味いい百田尚樹の筆致が最後には上質なものへ昇華してしまう。 それは、全話に共通するブラックユーモアならではの後味の悪さも含めて。 読書が苦手で、最後まで読みきったことのない人にぜひオススメしたい 「物語」の魅力をいい意味でミスリードする教材のような一冊。

『書楼弔堂 破暁』(しょろうとむらいどう はぎょう)

ときは明治維新から20年後。舞台は、東京近郊にある怪しさ満点の古書店“弔堂”。 主人公は、ある日を境にその店へ通うことになる元士族の厭世観と自虐思考に囚われた中年ニート・高遠。 元僧侶の店主は、店にある書物を処方することで、客の悩み事に一筋の光をあてる。 たとえるなら古書店で行われる不定愁訴外来といったところ。 さらに来る客はみなみな実物の傑物ばかりで、 読み進むうちに次は誰が登場するのか、ちょっとした楽しみになっていく。 猿まわし役の高遠も、その処方に関わっていくうちに、病んでいた心に少しづつ変化が芽生え…。 これまでの百鬼夜行(京極堂)シリーズに似ているようで、それでもまったく違うような、 いわゆる裏と表、陰と陽ともいえる構成が、大変おもしろい。 古書店“弔堂”と古本屋“京極堂”、白装束と黒装束、元僧侶と兼業神主(陰陽師)。 書物を処方し患者を祝う弔堂店主と、憑物落としで依頼者を呪う京極堂店主。 変わりゆく世についていけない高遠と、世間と折り合いを付けられない“うつ病”の関口巽。 当てはめていけばいくほど対照的にみえる舞台と役者たち。 百鬼夜行(京極堂)シリーズに比べ小難しくもなく、わりと動きの少ない蛋白な話の運び方は、 初めて京極作品を読む方にとって入りやすく、 同シリーズや後巷説シリーズをこよなく愛する方にとっても 随所にリンクが貼られてあって、大変楽しめる作品になっている。 また、他の京極作品の例に漏れず、立て板に水のごとく展開する会話文はさずがの一言。 思わず声に出して読みたくなるほどの流暢な言葉のやりとりは、 テンポよく読み進むためのエッセンスとなって、ぐいぐい読み手をその世界へのめり込ませていく。 ラストはなんだか続くような終わり方でもあり、高遠の行く末も気になるところ。 早く次巻を手にしたいと、久しぶりに思わせてくれた嬉しい一冊だった。

『晴れた日は図書館へいこう』

本が大好きな小学5年生の主人公(わたし)・茅野しおりが 図書館を舞台に様々な人たちと出会い、 そこで起こるささやかな事件を解明していく連作短編の児童文学。 ゆえに、とても丁寧な文章やわかりやすい表現で綴られており、 読書が苦手な児童にも読みやすいように工夫されているが、 その秀逸な筋書きはもはや児童書の域を超え、 大人でも十分楽しむことができる。 それもそのはず、著者の緑川聖司はそもそもミステリ愛読者なのだ。 大学時代はミステリ研に所属し、 本棚には本格ミステリの傑作『奇想、天を動かす』(島田荘司)や ミステリマニア必読の奇書『匣の中の失楽』(竹本健治)、 新本格ブームをもたらした一冊『月光ゲーム』(有栖川有栖)などが 並べられていたという。 これらの名作(迷作)を愛してきた人間なら、 たとえ児童文学であってもエンターテイメント性を 欠いたストーリーを創作したりはしない。 ただし、そこに暗号が残された密室殺人は発生しないし、 脱出不可能な孤島に閉じ込められるようなことも一切ない。 もっといえば、主人公が突然あたりかまわず難解な数式を書き出すようなことも、 キーワードを書いた半紙を破って頭上で撒き散らすようなこともしない。 すべては日常で起こりえるちょっとした事件であり、 それでいて誰もが不思議に思う不可解な謎。 そこに隠された真実の一つひとつに人を思いやる優しい気持ちが込められており、 一編一編読み終えるたびにささくれだっていた心は滑らかな丸みを取り戻す。 文庫化に伴って書き下ろされたラストの一編、 番外編“雨の日も図書館へいこう”では、 書物ならではの巧みな叙述トリックが用いられ、 久々にミステリの醍醐味に浸ることができた。 ちょうど季節はクリスマス前。 ゲームばかりして本の面白さを知らないあの子に贈ってあげたい、 懐の寒いボクがそんなことを思ってしまった奇跡の一冊。

『キウイγは時計仕掛け』

久しぶりのノベルズ。久しぶりのGシリーズ。久しぶりの森博嗣。 9年以上前から始まったこのGシリーズもいよいよ9作目。 …というとなにやら待ちに待っていたみたいだか、そうでもない。 なぜかいつからか森博嗣からちょっと距離を置くようになっていた(なんでだろ)。 たまたま時間つぶしにとびこんだ書店で、 たまたま新刊棚に並んでいたのがこの『キウイγは時計仕掛け』だった。 いつもなら併読してる本が何冊か手元にあるはずが、この日は珍しく手ぶらで、 時間があるなら久しぶりに…と買ってみたというわけ。(なんの言い訳?) 作品をたぐってみると、前々作『ηなのに夢のよう』までは読んでいた。 つまり、前作『ジグβは神ですか』を読んでなかっただけらしい。 こういうとき、シリーズと銘打ってるわりに 順を追って読まなくてもとくに支障のないのが森作品のいいところ。 今回はGシリーズにしては珍しく生身で犀川先生が登場している。 国枝先生も相変わらず。西之園萌絵が准教授になっていたのには驚いたが、 まあ順当な成長の仕方かも。院生だった山吹皐月も助教になっているし、 依然として猿回し役の加部谷恵美も就職していた。 このあたりの時間の進み具合は、 同じように現実世界で時間が空いた読者にとって妙にシンクロしていて、 かえってスムーズにGシリーズの世界に入り込めたような気がする。 ただ、名前だけが飛び交いまくる真賀田四季博士(登場はしない)。 こればっかりは、この人の登場作品を一冊は読まないと、 ちょっと置いていかれる感覚を味わうかもしれない。 彼女とつながりの深い島田文子女史も登場するから、 S&Mシリーズにして処女作『すべてがFになる』を先に読むと 物語は俄然厚みを増すだろう。それに…かつてのヒロイン、 西之園萌絵の精神的な成長も随分感じられるに違いない。 ただ、話の内容はGシリーズの中でもかなり蛋白だと感じた。 大学で起きた殺人事件に巻き込まれる登場人物たち。 結末は概ね想像していたとおりだった。 そもそもGシリーズそのものが、他のS&MシリーズやVシリーズに比べ、 ミステリのテイストが薄いことは分かっていたはずなんだけれど。 個人的には四季シリーズのような(なかでも秋)、 ハラハラドキドキするものをもう一度読んでみたい。 (Xシリーズにいたっては記憶に残っていない) とにもかくにも、懐かしい名前とちょっとした伏線が、 残すところあと3作となったGシリーズ(著者宣言済)で どんな展開を見せるのか、それはそれで楽しみになってきた。 (といっても2014年はXシリーズに戻るらしいから再来年以降だけど) それまでに、『ジグβは神ですか』をひとまず読んでおくとしよう。

『サクリファイス』

300ページにも満たない文庫本。 オススメされて貸してもらったはいいが、 これがどうにもこうにも読み進まない。 いや、けっして面白くないからではない。 持ち歩いているカバンの中から一時的に 行方知れずになるような不幸が重なっただけ。 正直申し上げると、遅読の最大の要因は、 サイクルロードレースという舞台に馴染みがなく、 なかなか頭の中でうまくイメージできなかったこと。 なので、ついつい併読している本に逃げてしまう。 吾輩にもう少しモーターサイクルへの興味があれば…。 (その手の雑誌社に勤めていたこともあったのに) ただ、中盤までくると、こんな吾輩にもようやく サイクルロードレースというものが理解できるようになる。 そこからは堰を切ったように読み進み、 ミステリに不可欠な謎の解明に行き当たる。 “サクリファイス”とは“犠牲”。 最後の謎が解明されたとき、 そのタイトルに隠された真の意味が明らかとなる。 そして、(日本に限って)マイナなサイクルロードレースを ストーリー仕立てでうまく紹介する小説ではなく 紛うことなきミステリ小説であることを思い知ることに…。 ちなみに、作中に大阪と奈良の境にある “暗峠”(くらがりとうげ)が登場する。 なかなかディープな地元フレーズに それまで興味のなかったロードレースが 一気に近く感じられたのにも驚いた。

『とっぴんぱらりの風太郎』

万城目ファンタジー初の時代物…ってところに多少躊躇したが、 なによりその厚さに一番驚いた。 746ページはかなり重い。通勤時間で読むには少々扱いに困る。 挙句、最寄り駅へ降りるときに無理やりカバンに入れようとして、 あわてて栞の紐を指でひっかけてしまい、どういうわけか ページを裂いてしまうなんてとんでもないことになったりして。 そんなことも面白かったら全て許せてしまうのだが…、さてさて。 主人公はニート忍者の風太郎。 彼の視点に立った一人称で始終物語は進んでいく。 序盤はほとんど風太郎の生い立ちや性格、人間関係、 現在置かれているプータローたる暮らし向きがメイン。 丁寧に描かれ過ぎているせいか、些かえっちらおっちら感が否めない。 また、主人公が持つ暗く切ない心の闇が物語全体を包み込んでいて、 いつもの万城目ワールドを楽しもうと思っていたら足をすくわれるかも。 とりわけ戦闘や戦(いくさ)のシーンには、 これまでにないリアルで凄惨な描写も多く、 万城目学の新境地を垣間見た気がした。 とはいえ、稀代の幻術士・果心居士をうまく利用した プロットの練り方は、これぞまさに万城目マジック。 後半から始まる怒涛の流れは、万城目流の盛り上がりを見せ、 ハラハラドキドキの手に汗握るシーンの連続。 過去の作品群と違ってユーモアに欠ける分シリアスで、 目頭が熱くなる見せ場もけっこう用意されている。 読み終えたあと、久々の超長編でしばらく放心するも、 「生きる」ということの難しさと大切さがじんわり心に広がった。 <余談> 物語の核となる“ひょうたん”とクライマックスの“大坂夏の陣”。 コアなファンを喜ばせるサービスも相変わらず忘れていない。