参る一覧

お初天神(露天神社)

「お初天神」という通称の方が耳に馴染みのある大阪を代表する菅公の社。正式名は「露天神社(つゆのてんじんじゃ)」。元禄16年(1703年)に当社の境内で実際にあった心中事件を題材にした、近松門左衛門による人形浄瑠璃「曽根崎心中」のヒロインの名前が「お初」だったことから、いつしか「お初天神」と呼ばれるようになったという。

春日大社(第六十次式年造替)

20年に1度の「式年造替」を行っている奈良の春日大社。期間限定で拡張された御本殿特別参拝エリアの一つである御蓋山浮雲峰遙拝所は、白鹿の背に乗って鹿島神宮からお越しになられた武甕槌命が鎮座された御蓋山「浮雲峰」から西に伸びる尾根線上にあり、神の息吹を感じられる新たなパワースポットとなっている。

氣比神宮

福井県敦賀市街の北東部に鎮座する越前国の一宮・氣比神宮。交差点に面した悠然とそびえる朱塗りの大鳥居は、日本三大木造大鳥居の一つ。主祭神の伊奢沙別命(いざさわけのみこと)は謎の多い神様で、この気比神宮でのみ祀られている神様。御食津大神(みけつおおかみ)とも称され、その御名にあるとおり食物を司る神様である。

錦天満宮

加茂茄子の漬物を買いにいくときにまいる錦市場の錦天満宮。御祭神は菅原道真公。珍鳥居で有名な同社の境内には、からくりおみくじやロボット紙芝居が4台あって、いささか雑然としているものの庶民的な趣きが感じられ、いつの間にかほっこりした気持ちにしてくれる。

金峯山寺

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する要素の一つ、吉野・大峰の霊場。吉野山の金峯山寺はその代表的な寺院であり、修験道の祖・役小角(えんのおずぬ)が開創、3躯の蔵王権現像(秘仏、重文)を御本尊とする。近年、毎年一定期間のみ御開帳が行われている。

建仁寺

京都最古の禅寺にして、京都五山の第3位に列せられる臨済宗の大本山・建仁寺。ここには教科書等で一度は見たことのある風神雷神図や108畳もの広大な天井に描かれた双龍図が拝観できる。だが、もっともオススメなのは、本坊の方丈の縁側から枯山水様式の大雄苑をボーッと眺めること。

阿部野神社

大阪阿倍野区の南西部に位置する北畠。兵庫の芦屋、奈良の登美ケ丘に並ぶ高級住宅地、大阪の帝塚山に連なり、周囲は閑静な趣を醸し出す。「北畠」は南北朝時代に当地で討ち死にした北畠顕家(あきいえ)に由来する。

宝厳寺(竹生島)

年に一度参詣することにしている「竹生島」。 かれこれ4年目になる今年は、3年に及ぶ40代の大厄を無事乗り切ることができた厄抜けの感謝と巡礼の旅。 それもあってか少しばかりノリノリでカメラ片手に朝早く家を出てみたものの、最寄り駅に着くなりポツポツと雨が降り始めた。 例外なく雨男の能力を発揮する己に呆れ、雨具を持参してこなかった己の迂闊さに凹みつつ、これも琵琶湖に宿る竜王の禊ぎの雨だと言い聞かせ、いきなりくじかれた旅の出鼻を慌てて整える。 しかし、約2時間後に降り立った近江今津駅でも雨はまだやむ気配もなく、逆に激しさを増していた。 これはまずい…と最寄りのコンビニへ駆け込み、ビニール傘を買って、いつものフェリー乗り場へ。 乗り場には意外に大勢の人が列をなしていた。 いつもなら見かけることのない若いカップルや家族連れも多い。 都久夫須麻神社や八大竜王拝所の数年にわたる改修工事が今年の春にようやく終わったことと、竹生島を舞台にした映画『偉大なる、しゅららぼん』が公開されたことが多少影響してのことかも知れない。 9時40分、やってきたフェリーに乗り込んで出発。 ここから約20分の船旅になる。 その最中、ちょうど竹生島が見えてきたあたりでにわかに空が明るくなり、突然、雨がやんだ。 あまりにも出来過ぎた自然の演出に「禊が終わったんだ」なんて勝手な解釈でひとり得心してみたり。 そんなこんなで1年ぶりの竹生島(入島料400円)。 いつもどおり長くて急な石段を登って宝厳寺へ。 (先に都久夫須麻神社や八大竜王拝所へ行くなら長い石段は登らなくてもいい) 木々の緑の中に朱い色が映える本堂は、別名・弁財天堂とも呼ばれ、ご本尊の弁財天がお祀りされている。 実は、宮島の大願寺、江ノ島の江島神社に並ぶ日本三大弁財天の一つと称されている同寺。 (※天川村の天河大弁財天社が含まれたりすることも) 聖武天皇の夢枕に立った天照大御神のお告げをきっかけに創建され、戦国期の浅井家や豊臣家との関わりも深い。 本堂は拝所(後陣)の両脇にそれぞれ前立本尊が配され、正面の内陣中央のお厨子の中に秘仏のご本尊が安置されている。 ご開帳は60年に一度で、次回はまだまだ先の2037年。 宝厳寺の公式サイトに用意されている「バーチャル拝観」では、一般公開されていない内陣の様子をうかがうことができる。 拝所の中でもとりわけ目を引くのが、無数に並ぶ赤い小さなダルマ。 琵琶を持ちながら微笑む弁天様の表情が愛らしく、参拝者は願い事を書いた紙をその中に収め、奉納する。 丸1年もの間、ここで祈願してくれるという。 一方、撮影の許可をいただいた拝所の前立本尊。 しなやかに伸びる八臂の腕のそれぞれに武器や宝具を持ち頭上に構えた鳥居の中に翁の顔をした人頭蛇身の宇賀神を配するお姿は、ヒンドゥー教シャークタ派系のサラスヴァティーにうかがえる軍神的な要素と日本の神仏習合による龍神・蛇神の背景を見事に併せ持った、いわゆる七福神の弁天様とは異なる容貌がとても神々しい。 本堂を出て、しばらく進むと見えるのが平成12年に復元された三重塔。 江戸時代に焼失して以来、約350年ぶりの姿はまだ新しく、青空とのコントラストがとても美しい。 隣接する宝物殿では、同寺に関わりのある国宝や文化財が多数収蔵されており、湖国ならではの貴重な宝物を拝観することができる(大人500円)。 その先へ歩みを進めると現れるのが「唐門」。 京都東山の豊国廟にあった「極楽門」を移築したもので、豊臣秀吉の建てた大坂城唯一の遺構ともいわれている。 唐門をくぐると千手観世音菩薩をご本尊とする西国三十三所の第三十番の札所・観音堂へ(撮影不可)。 その観音堂と先の都久夫須麻神社をつなぐ渡り廊下が、太閤秀吉のご座船(日本丸)の船櫓を利用した舟廊下となる。 これら「唐門」「観音堂」「舟廊下」は昨年の9月より屋根の吹き替え、漆の塗り替え、彩色復元の工事が行われており、すべての修復を終えるのは平成30年の予定。 ※舟廊下の通行は可能 さて、宝巌寺の境内はひとまずここまで。 今春、修理を終えたばかりの都久夫須麻神社はまた来年の「まいる」でご紹介するとして、この日、八大竜王拝所で行った「かわらけ投げ」は昨年に続き二皿とも鳥居の中を無事通過。 その手慣れたスローイングもいずれ動画で。

淡嶋神社

大阪・難波から電車または車で、いずれもおよそ約2時間。 大阪湾の弧に沿うように南下すれば辿り着く和歌山の漁港・加太(かだ)。 ひと昔前までは、春の終わりから夏の始めにあたるこの時期なら 大勢の親子連れが潮干狩りに興じる姿で賑わいを見せていた同所だが、 それも海中の環境悪化により7年前から中止されて以来その面影は微塵もなくなった。 まさに“ひなびた”という形容が、良い意味でも悪い意味でもしっくりハマる のどかでどことなくうら寂しい海辺の風景が広がる漁港。 そんな港を見守るようにどっしり腰をおろしているのが、 全国にある淡島(嶋)神社・粟島神社・淡路神社の総本社とされる淡嶋神社である。 意外なことに海に面していない大きな一の鳥居をくぐり、 ほど近い二の鳥居をぬけると、右手に見事な朱塗りの社殿が姿を現す。 壮麗な姿に見とれるのもつかの間、社殿の周囲になにやらたくさん配置されている。 近づいてよく見てみると…。 それはそれはおびただしい人形の数々! 境内一帯には奉納された無数の人形たちが安置されている。 その多くは日本人形だが、ほかにも熊の置物や招き猫、 たぬきや干支の置物、ぬいぐるみから得体の知れない仮面まで、その種類は多種多様。 実はここ淡嶋神社は、ひな祭りの発祥の地とされており ひな人形の男びな女びなの始まりは、同社のご祭神である 少彦名命(すくなひこなのみこと)と神功皇后(じんぐうこうごう)の 男女一対のご神像がモデルといわれている。 一説では、ひな祭りという名もスクナヒコナ祭りが簡略化されたものだという。 さらに、沿岸の友ヶ島から加太へと遷宮された日が仁徳天皇5年3月3日であることから、 毎年3月3日は願い事を書いた人形を舟にのせて海へ流すという「雛流しの神事」が行われている。 そんなわけで、次第に同社は人形供養の神社として全国から人形が集まってくるように。 中には「髪が伸びる人形」など霊的な力を秘めているとされる人形もあり、 そういった謂れがある人形は地下に祀られているという(現在は非公開)。 当日はその話を事前に知り得た同行者の一人も人形や置物を持参しており、 焼却委託料と供養料(志し)とともに奉納した。 ちなみに受付は仏滅の日を除く、午前9時から午後4時まで。 ミカン箱一杯程度の量につき焼却委託料は500円。 郵送や宅配では受け付けてもらえない。 大神神社のヘビ、住吉大社のウサギ、春日大社のシカといったように こちらも多くのお社と違わず、手水舎は御使様をモチーフにしている。 それがこの口から水を出しているカエル。 このカエルは古事記に登場する多運具久(タニグク)という名の神様で 同社御祭神の一柱、少彦名命の御使様といわれている。 大国主命の国づくりを手伝った神様として有名な少彦名命は、 とても小さく一寸法師のルーツになったともいわれている。 機敏で知慧に優れ医薬・醸造などを司り、 さらには日本に裁縫の道を初めて教えたとされるため、 同社では毎年2月8日に針祭が行われる。 俗に針供養といわれ、境内には本殿でお祓いされた 古針を納める針塚が備えられている。 境内は本殿の横手に広がっていて、さらに奥へ進むと いくつもの摂末社にお参りすることができる。 御祭神の一柱、大国主命をお祀りする大国主社。 先出の御使神、多運具久様を祀る遷使殿。 淡嶋神社の近くで生まれ、紀州みかんや塩鮭で富を築いた 紀伊国屋文左衛門が江戸に移り住む前に奉納した稲荷社。 そして…。 なかでも有名なのが、婦人病にご利益がある伝わる末社。 この中に祀られているのは男根女陰をかたどったものがたくさん。 古くから子授けや安産はもとより、女性の下半身の病を治癒するといわれ 腰巻きにはじまり、パンツやブラジャーなど女性の下着を袋に包んで 絵馬と同じように奉納する風習が今でも残っている。 実は淡嶋神社の境内(一の鳥居と二の鳥居の間)には 土産物や食事を提供する店が4軒存在する。 その中の1軒で食べられる「しらす丼」の大盛りは、磯遊びに来た家族連れや ツーリングで立ち寄ったドライバーたちから密かな人気を得ている。 丼鉢いっぱいに盛られたしらすの量はハンパなく、 新鮮なしらすを思い存分食べられるとあって、 もはや参拝よりもこちら目当てに訪れる者が少なくないほど。 そんな境内には、ほかにもまだ見どころがたくさん。 周辺には温泉もあり、意外なほどポテンシャルの高い和歌山・加太。 忙しない日常の喧騒から距離を置き、潮風に包まれながら のんびりと祈りの旅で心を癒してみるのも悪くない。 淡島神社 〒640-0103 和歌山県和歌山市加太118 南海加太駅から徒歩20分程 073-459-0043 境内自由(宝物殿は入館300円)

住吉大社

そのご由緒は深く、古来より多くの人から篤い信仰を集めてきた大阪は浪速の住吉大社。 全国約2300社余の住吉神社の総本社であり、日本各地からの参詣はもちろん、摂津国の一宮として地元大阪の人々から「すみよっさん」と呼ばれ今もなお親しまれている。 大阪に唯一残る路面電車(チンチン電車)の阪堺電気軌道阪堺線「住吉鳥居前駅」を降りるとすぐに見える、堂々たる石の鳥居と巨大な石柱に刻まれた「住吉大社」の文字。 その圧倒的なスケールと風格は、さすが浪速を代表する聖地である。 大鳥居くぐると住吉大社の象徴ともえいる反り橋、別名「太鼓橋」の袂がわかるほどに見えてくる。 鳥居より手前からでもなんとなく見えてはいるが対岸が見えないほど反り返っているため、はじめて参った人はこれが橋の袂とはまず分からない。かつてはこの橋の近くまで波が打ち寄せていたという。 角鳥居を抜けると、眼前に広がる主祭神4柱のご本殿。 青空に向かってそそり立つ幾つもの千木が、遠目にも凛々しく美しい。 千木といえば、以前「猿田彦神社」で記した祭神が男神の宮は千木を外削ぎ(先端を地面に対して垂直に削る)に、女神の宮は内削ぎ(水平に削る)にするという話。 例外も少なくないが、ここ住吉大社はまさにそのとおりで、二つならんだ第三本宮と第四本宮の千木の違いを比較しやすい。 その第四本宮に祀られているのは、息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)。 つまり、神功皇后 (じんぐうこうごう)であり、応神天皇(おうじんてんのう)のご聖母。 夫の仲哀天皇が香椎宮にて急死した後、住吉大神のご神託を得て、お腹に子供(のちの応神天皇)を妊娠したまま筑紫から玄界灘を渡り、朝鮮半島に出兵して新羅・高句麗・百済の国を攻め朝貢を約したという(三韓征伐)。 まさに日本神話における戦の女神。ギリシャ神話のアテナともいえる知慧と武勇の女神。 ゆえに必勝を授ける女神ともされるが、女性の守り手として懐妊や出産の守護神でもある。 第一本宮・第二本宮・第三本宮は住吉三神が祀られている。 伊邪那岐尊が黄泉国の汚穢を洗い清める禊を行ったときに生まれ出た三柱の神。 瀬の深いところで生まれた底筒男命(そこつつのおのみこと)。 瀬の流れの中間で生まれた中筒男命(なかつつのおのみこと)。 瀬の浅い水表で生まれた表筒男命(うわつつのおのみこと)。 住吉とはそもそもは「スミノエ」と呼び、澄んだ入江のことを意味する。 かつては波打ち際にあった同社だけに、住吉三神とはつまり海そのもの。 広大で深い海を司り、その上層と中層と下層を守護する三柱の神。 ゆえに三柱で海をなし、多くは住吉三神もしくは筒男三神といわれる。 また、海を司ることから航海の神とされ、古くから漁師や船乗りの信仰が篤い。 (※伊邪那岐尊の禊ぎ祓いの際、同様に海を司る綿津見三神も誕生している) 海に囲まれた我が国において、海神の立場はことさら重要な意味を持つ。 海原をまかされた素盞鳴尊しかり、龍宮の王・大綿津見神しかり。 強き神々は海を司り、海の彼方より迫る脅威から日本を守り続ける。 敵に囲まれ、八方ふさがりでどこにも進めなくなったときは住吉の宮へ。 きっと、住吉大神(神宮皇后含む)から妙策につながるインスピレーションを得られるはず。 「我見ても 久しくなりぬ 住吉の 岸の姫松 いく代へぬらむ」 一方でここ住吉大社は古くから白砂青松の風光明媚なロケーションだったっこともあり、万葉集や古今和歌集などの歌集に数多く歌が詠まれている。 また、ときに和歌で宣託を垂れるといわれ、和歌の神にして和歌三神の一柱という海神の意外な一面に、命がけで大海原に身を投じる荒々しい海の男たちのときおり垣間見せる哀愁が重なった。

飛鳥寺

596年に建てられた日本初の本格的な寺院・飛鳥寺。 発願は蘇我氏の全盛時代を築いた蘇我馬子。 ゆえに蘇我氏の氏寺でもある。 意外なほど小さな門の前には「飛鳥大佛」と彫られた石柱が建っている。 本来なら、この文字は「飛鳥寺」であるべきはずだが、そうしない理由はおそらく、現在の寺号が「安居院」だから。 そもそも飛鳥寺は平城京に移されたときに「元興寺」と名を変え、飛鳥に残った同寺院は「本元興寺」と呼ばれることに。 (その元興寺は「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている) その後、「本元興寺」は鎌倉時代に落雷で焼失するなどし、江戸時代まで飛鳥大佛だけが石の台座に残されたままだったそう。 あまりの状態に、いつしかどこぞの夫婦が小さい仏堂を寄進し、香具山の寺院にいた僧侶が隠居しにきた際、現在の「安居院」と改め、飛鳥大佛の補修を手がけたという。 本殿へ足を踏み入れると、左右を阿弥陀如来と聖徳太子に臨座・臨立され、中央にご本尊の飛鳥大佛がどしりと鎮座している。 飛鳥時代の仏師「鞍作止利(くらつくりのとり)」が手がけ、年代がわかる仏像のなかでは日本最古の仏像とされている。 頭部の額から下、鼻から上の部分と、左耳、右手中央の指3本だけが当時のままで、過去に被った火災による損傷と風雨等による劣化の激しさが窺える。 とりわけ、飛鳥時代を物語る典型的なアーモンド形の瞳と印象的なアルカイックスマイルが残っていたのはまさに奇跡としか言い様がない。 さらに本堂の奥には、庫裏の一角を利用して、寺宝として所有する仏像や文化財の展示スペースが設けられていたり、きれいに整えられた趣深い中庭を臨むことができる。 本堂奥の回廊から外へ抜けると、思惟殿と呼ばれる観音堂が現れる。 こちらのご本尊は聖観世音菩薩。新西国三十三箇所の札所の一つだ。 そこからさらに西へ歩みを進め、小さな門をくぐって境内の裏手へ抜けると、視界いっぱいに畑の広がる風景の中に、ポツンと五輪塔が立っている場所へ出る。 その五輪塔が、有名な「入鹿の首塚」である。 稲目、馬子、蝦夷、入鹿と4代にわたって大和の政権を掌握してきた蘇我氏本宗家。 入鹿の代になり、いよいよその専横ぶりが見逃せなくなってきた皇極4年(645年)、談山神社での談合の末、飛鳥板葺宮にて中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿を暗殺。 翌日には父・蝦夷を自殺に追い込み、蘇我氏本宗家は滅亡する。 その後、改新の詔を以て大化の改新が行われ、天皇中心の政治へと大きく舵を切ることに。 この首塚に入鹿の首が実際に埋められているか否か定かではないが、飛鳥板葺宮での凶事の際、はねられた入鹿の首がここまで飛んできたという真しやかな尾ひれまでついている(たしかに近隣ではあるが…)。 背後に見える甘樫丘の麓は、蘇我氏の邸宅があったとされる場所。 たとえ無惨な御首級だけになっても、権勢を誇示した我が屋敷を臨む一族縁の飛鳥寺まで戻って来たかったのかもしれないな…と手前勝手な想像を逞しくすると、そんな荒唐無稽な伝承でさえ無性に人間臭く思えてしまい、なんだか素直に信じてみたくなる。

安倍晴明神社

年に一度、生まれ育った場所へ足を運ぶことにしている。 育ったとはいえわずか3歳までのことだから、厳密にいえば生まれた場所(産土)ということになるけれど。 その産土を治める鎮守の森へ「まいる」その後で、周辺に点在するいくつかの社にもご挨拶へ伺う。 その一つがこちらの「安倍晴明神社」である。 御祭神はもちろん、平安の天文博士・陰陽道の祖とされる安倍晴明公その人。 境内には晴明公誕生の碑があり、母・葛乃葉(くずのは)が使用したという産湯井の跡が存在する。 鳥居をくぐるとすぐ正面に拝殿が見え、神社としての規模は思いの外小さい。 かつて晴明公の子孫と称する保田家が旧社地を寄進したとされ、現在は50メートル先にある阿倍王子神社の末社として管理されている。 こじんまりとした拝殿は、至る所に五芒星が掲げられいかにも物々しい。 一般の拝殿ではあまり見かけない格子戸が手刀で切った九字のようで、まるで魔を滅し邪を払う晴明公を体現しているかのよう。 境内にはほかに、真っ赤な鳥居が異彩を放つ父・安倍保名(やすな)を冠した稲荷社や母・葛乃葉(くずのは)が信田森から飛来する姿をイメージした「葛乃葉霊狐の飛来像」、はては晴明公の等身大銅像などがあり、小さいながらも来訪者をもてなす姿勢はさすが大阪というべきか。 さらに、社務所では御朱印やお守りの授与の他に、晴明由来の占いなども行われている。(御朱印とお守りは先出の阿倍王子神社の社務所でも授与していただける) 浪速精神溢れる息吹と拝殿から放たれるピリリとした空気感がせめぎ合う小さな境内。 路面電車が走るディープな大阪の下町に、そんな不可思議な一角があることを知る人は意外に少ない。 安倍晴明公縁の「まいる」情報 京都市上京区の「晴明神社」 大阪府和泉市の「信太森葛葉稲荷神社」 奈良県桜井市の「安倍文殊院」

八大竜王拝所(竹生島)

日本一大きな湖・琵琶湖の北側に浮かぶ神秘の島「竹生島」。 島へのアクセスは定期船にて湖西の今津港、湖東の彦根港・長浜港からおよそ30~40分。 とあるきっかけから、毎夏に一度は必ず「まいる」ことにしている。 古来より信仰の対象だった竹生島は、神の棲む島とされ、 浅井姫命伝説の都久夫須麻神社(竹生島神社)、 日本三大弁天で知られる宝厳寺(西国三十三所三十番) かわらけ投げで有名な八大竜王拝所、 天狗堂、観音堂、黒龍堂とパワースポットが目白押し。 本来なら、今夏の参詣後に投稿するところだが、 これほどのボリュームを一度にご紹介するのは厳しいこもあり、 映画『偉大なる、しゅららぼん』の公開に合わせて、 今回は劇中で重要なキーとなる「八大竜王拝所」にのみスポットあててみた。 さて、島へ上陸してひたすら長い階段を登り、順当に巡っていけば、 都久夫須麻神社の下方真正面に向かい合う八大竜王拝所へたどり着く。 ところが、約2年前から同所周辺の改修工事がはじまり、 それからは仮の拝殿(?)にて参詣するしかなくなった。 それがこの春、まるで映画の公開に合わせたかのように工事が終わったようで、 おそらく見事なまでに立派な拝殿が完成しているはず(今季参詣にて報告予定)。 拝殿にはとぐろを巻いた阿吽の蛇が狛犬のように配され、 正面に放たれた開口部からは、青く澄み切った琵琶湖が望める。 奈良の大神神社に本殿がなく、拝殿からご神体の三輪山を拝するのと同様に、 ここではこの琵琶湖がご神体であり、八大竜王そのものであるということだろう。 拝殿の横にはさらに大きな開口部があって(改修工事前)、 そこから眼下を望むと湖岸に面して鳥居がポツンと立っている。 それは有名な安芸・厳島の鳥居に遠く及ばない簡素なものだが、 不思議とその風景を彷彿とさせるような神秘的な佇まいを見せていた。 そして、この鳥居を利用して厄を落とすというのが有名な“かわらけ投げ”である。 “かわらけ”というのは素焼きや日干しでつくった土器の酒杯や皿のこと。 受付で購入した2枚の“かわらけ”に名前と願いを各々記入し、 眼下の鳥居中央へ向けて投げ、ちゃんとくぐれば願いが叶うという。 よく見ると、鳥居の周辺は投げられた“かわらけ”の残骸で敷き詰められている。 もちろん、ここまで来て投げない理由はない。 過去3回、いずれも厄祓いを祈願して投げたうち、 なんと2回はど真ん中を通り抜けた(しかも2枚とも!)。 たしかに無事に3年間の大厄をやり過ごすことができたのだから、 とにもかくにもお陰様で大変ありがたいことである。 さて、そんな拝所を後にして再び先へ進もうとしたとき 本来のルートとはまったく違う細く狭い道を発見。 (もちろん初めて訪れたときの話) それは、ちょうど都久夫須麻神社の裏手にまわるような方向で、 踏み入ってはいけないのかと思われたが、結界のようなものはなく、 まるでなにかに誘われるようにフラフラと歩みを進めると、 目の前に現れたのは伏見にあるような真っ赤な鳥居と石の鳥居だった。 石鳥居の前には2本の石柱があり、そこにはそれぞれ 「平成巳巳歳巳巳月巳巳日」と「奉納某氏」の文字が。 さらにその前には阿吽の龍。 そしてその先は、ただただ琵琶湖があるのみ。 (改修工事より、ここには行くことができなくなった) そこから見える島の外壁は緩やかなカーブを描き、 竹生島がまあるい円状であることがよくわかる。 ふと、小さな波が打ち寄せる湖面へ目を落とすと 外壁は1メートルも満たずに水の底へ消えていた。 そう、竹生島は琵琶湖の最深部に突き立つ巨大な円柱の わずか上方のほんの一部に過ぎない。 その円柱のはるか下方には、長い肢体を柱に巻き付けながら 鋭い双眸を湖面へ向ける巨大な龍が本当にいるのかも…知れない。

大阪天満宮(天満天神梅酒大会)

御祭神は、言わずと知れた平安時代の学者で政治家でもあった菅原道真公。 菅公をお祀りするこうした神社は全国各地に数多く点在し、なかでも有名なのが福岡の太宰府、京都の北野、山口の防府、そしてここ大阪天満宮である。 浪速っ子からは「天神さん」と親しみを込めて呼称され、幾度もの火災に遭いながらも大阪市中の氏子や崇敬者の尽力により今日に至る。 境内には梅の花を好んだ生前の菅公にちなみ、梅の木が植えられ、花の見頃には一段と賑を増す。 そして毎年2月、この境内に日本全国の梅酒が集まり「天満天神梅酒大会」が催される。 2006年よりはじまった同大会も今年で第8回目。 出店銘柄は梅酒部門210種類、リキュール部門116種類。なんと計326種類の試飲ができてしまう。 簡単な流れは次のとおり。 前売券もしくは当日券を購入し、ひととおり試飲した後、チケット付属の投票券に 「うまい!」と思った銘柄の番号をそれぞれ5つ記入。 後日、最終審査が行われ、本年の日本一が決定する。 わざわざお金を払ってまで…なんて思っていると大間違い。 多少の人混みと待ち時間が気にならないなら、これだけの数の梅酒の利酒ができるチャンスはそうそうない。 ただし、全部の梅酒を試飲をするつもりで行くと、いろんな意味で覚悟のいることになるため、「話の種に…」なんて気軽なキモチで参加してみるのがオススメ(投票の厳密性や公平性に欠けるけど)。 とにもかくにも、とびきり甘かったり、とってもすっぱかったり、どろっとしてたり、フルーティだったり、さわやかだったり、濃厚だったり…210種もあって一度として同じ味がないことに驚くばかり。 梅酒一つでこれほど多様な味が出せることに、日本の酒蔵の底力を見た気がした。 さてさて、まだまだ語り足りない大阪天満宮。 今回は「天満天神梅酒大会」のことに始終したが、そもそも天神さんは逸話が多く、一度に全部は大変難しい。 一千年の歴史を誇る祭典、日本三大祭の一つ「天神祭」は夏に持ち越すとして、 御霊信仰や御使の牛などについては、いずれ登場する「太宰府」「北野」「防府」のときにでも。 最後に菅公が詠んだ有名な梅の歌を。 「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」

猿田彦神社

伊勢神宮内宮の近くにて、寄り添うように佇む猿田彦神社。 天照大神の命を受け、高天原から地上に降りた天孫・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を葦原中国(高千穂)まで先導した国津神・猿田彦大神と、その子孫・大田命を御祭神とする。記紀に登場するそんな役回りから、物事の最初にあらわれて、万事最も善い方へ「おみちびき」になる神とされ、交通安全や方位除け、旅人の神として古来より多くの人から信仰されてきた。 境内の中央には八角形の方位石なる石柱があり、なんでも猿田彦大神が長い間ご鎮座されていた場所だとか。その石柱の表面には十干十二支(じっかんじゅうにし)からなる方位(文字)が刻まれている。十干とは、木火土金水の5つに陰(兄)と陽(弟)をかけあわせたもので、十二支はおなじみ子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥。とある風水師によると、この石柱に記された方位(文字)を願い事によって順番に3つ触っていくと大変いいことがあるらしい。 一方、本殿と向かい合うように建てられた小さな摂社には、猿田彦大神の妻・天宇受賣命(アメノウズメ)が祀られている。有名な天照大神の岩戸隠れで大活躍した女神で、先の天孫降臨においては瓊瓊杵尊に同行した“五伴緒(いつともおの)”の1神。 夫婦神ならばともに本殿へ祀られることが多いなか、天宇受賣命に関しては摂社や別宮に祀られているスタイルが少なくない。ただ、こちらの摂社には千木や鰹木がなく、不思議に思いふと本殿の屋根へ目を向けると千木が内削ぎだった。 祭神が男神の社は千木を外削ぎ(先端を地面に対して垂直に削る)に、女神の社は内削ぎ(水平に削る)にすることが多いはずなのだが…(なかでも出雲諸社に多いが絶対ではない)。本殿に祀られている猿田彦大神はそもそも国津神なのだから出雲縁の神々に近く、ましてや事代主と同一なんて説もあったりするならなおのこと外削ぎでないことが腑に落ちず…。ならば猿田彦大神の総本社・椿大神社の千木はどうなっているんだろう…と今すぐ鈴鹿へ飛んで行きたくなる衝動を抑えつつ、同社を後にした。 毎年5月5日には豊作を祈って早苗を植えるお祭り「御神田祭」が行われる。いつかここでご紹介する機会があれば、併祀されている大田命と倭姫のお話もできればと思う。猿田彦大神と天宇受賣命はとても個性的で魅力的な神様。伊勢神宮内宮へご参拝の際には、ぜひとも立ち寄られることをオススメする。

今宮戎神社(十日戎)

今宮戎神社(十日戎) 御祭神は天照皇大神、事代主神。 素盞嗚命、月読尊、稚日女尊が配祀されている。 天津神と一緒に事代主神ってところにとても違和感があるが、 なんとこの事代主が“えびす”だという。 戎といえば、恵比寿であり、蛭子なわけで、つまりはヒルコ神。 ひいては伊邪那岐神(イザナギ)と伊邪那美神(イザナミ)の第三子なわけだから、 三貴神や稚日女尊と一緒であっても違和感はない。 そこへきてなぜ国津神の事代主の名で祀られているのか。 それは……。なんて小難しいことはさておいて、今回は十日戎のお話。 毎年1月10日の前後3日間に行われる戎社の例祭。通称「えべっさん」。 9日を“宵戎”、10日を“本戎”、11日を“残り福”という。 一般的なのは西日本で、なかでも最も賑わうのが、 浪速の商人に親しまれてきた大阪の今宮戎神社である。 同日の戎社周辺は車両規制され、難波から今宮戎までの道中にはたくさんの露店が並ぶ。 社に近づくにつれ人だかりは膨れ上がり、境内に流れる「商売繁盛で笹持って来い♪」のお囃子が聞こえる頃には、 露店の品が「縁起熊手」や福集めの「み」、恵比寿・大黒・お多福にちなんだ物に変わる。 境内に入るとすぐ大きな桶のようなものがあり、その中へ昨年頂戴した福笹を納める。 次に、もみくちゃにされながらも拝殿へとできるだけ進み、 なんとかお賽銭を投げ入れて手を合わせる(二礼二拍手はとてもできない)。 それから拝殿間際まで頑張って近づいて、禰宜や“えびす娘”さん(毎年選出)が配る新たな福笹を授かり、 その笹へ御札や吉兆と呼ばれる縁起物を付けてもらう(有償)ため “福むすめ”さん(毎年選出)たちが並ぶ受付のようなところへ。 ちなみに、御札や吉兆は各々1,000円~2,500円で参拝者が自由に選ぶことができ、 一つひとつ“福むすめ”さんに飾り付けてもらって代金をお支払いする。 吉兆には、銭叺(ぜにかます)、銭袋、末広、小判、丁銀、烏帽子、臼、小槌、 米俵、鯛など、「野の幸」「山の幸」「海の幸」を象徴した縁起物が色とりどり。 この一連の流れを終えて社を出たころには、もうヘトヘトである。 ただ、心は不思議とスッキリしているもので、もみくちゃにされながらも事を成し遂げた達成感か、 はたまた厄落としの通過儀礼のようなものなのか、それは誰にもわからない。 拝殿の裏にまわると金属板でできたドラのようなものがあり、大阪商人は拝んだだけでは心配なので、 ちゃんと願い事を聞いてくれたかドラを叩くことで神様に念を押す。 ドンドンドン、ドンドンドン、と鳴り響くドラの音とともに、 「えべっさん、今年こそ頼んだでぇ!」というひときわ大きな大阪弁が今も耳に残っている。

新薬師寺

奈良は高畑の一角に、ひっそりと佇む華厳宗の古刹・新薬師寺。 かつては南都十大寺のひとつに数えられる大きな寺院だったが、 落雷や台風などの被災により主たる伽藍は本堂を残すのみとなっている。 南門から入ってすぐに見える本堂は、石灯籠を中心に左右対称を成し、 緩やかな勾配をみせる屋根と大きな白壁のコントラストが美しい。 本堂には、中央に薬師如来、その周囲に薬師十二神将が配され、 その光景はさながら薬師如来を教主とする 東方浄瑠璃世界の一部を具現化しているかのよう。 ご本尊の薬師如来は、他にあまり類を見ない肉感的な体躯で、 なかでも印象的なのは大きく見開かれた両の眼(まなこ)。 如来の多くは半眼で瞑想する様を現すのに対し、 異様なまでに大きい黒目は目を合わせた者の心を瞬時に捕らえて離さない。 額には如来にあるはずの白毫もなく、そのお姿はなんだかいつもの仏様と違う。 そのご本尊を背に背を向け、威嚇の様相を露わにした十二神将が四方八方へ睨みを利かす。 薄暗い堂内に佇むその勇姿を、円を描くようにぐるりと礼拝していくと、 日頃の愚行や甘えた性根に喝を入れてくださるようで、自然と背筋が伸びていく。 とりわけ傑作と名高い伐折羅(ばさら)神将の荒々しく檄を飛ばすお姿は、 大きく開かれた口から本当の咆哮が聞こえるようで一瞬たじろいでしまうほど。 こうした躍動感溢れるご仏像をじっくり拝することができるのも、新薬師寺ならでは。 境内の「静」と堂内の「動」の二律をもって陰陽を表現したような同寺。 初秋には萩が咲き誇り、また違った趣が楽しめるという。 ちなみに、新薬師寺の「新」とは、先に紹介したに対するものではなく、 霊験“あらたかな”という意を現した所以だとか。

大安寺

そもそもは平城遷都にともなって移築された藤原京の大官大寺。 奈良時代には官大寺の筆頭寺院として空海や最澄も学び、 東大寺と肩を並べる壮大で壮麗な寺院だった大安寺。 現在は往時に比べ寺運衰微したものの、 がん封じの寺として全国各地より多くの人が参拝する。 初めて同寺を参拝するきっかけが、まさにこの“がん封じ”だった。 身内の誰かが“がん”など大病に罹ったとき、 あらゆる現実的な手を尽くすだけ尽くした後は、 やはりこうした場所へたどり着くことになる。 それはたとえ常日頃より信心深くない者であっても同じ。 病魔に苦しむ本人はもちろん、憂慮に蝕まれる周囲の者たちの心までも 懐深く受け止め、癒やし、一時でも平穏を与えてくれる。 ご本尊は、10種類の現世での利益(十種勝利)と 4種類の来世での果報(四種功徳)をもたらす十一面観音菩薩。 同寺では特定の期間を除き、平素は秘仏とされており 優美と名高いそのお姿はめったに目にすることができない。 境内はよくある寺院の静謐で整然としたものではなく、 まるで旧家の広い庭のそれのようでありとても居心地がいい。 その一角には“いのちの小径”なる小さな竹林があり、 青竹から放たれた清き精気に満ちていた。

伊勢神宮(内宮/式年遷宮)

う、動いてないっ!! 動いてないのに、後ろから続々人はやってくる。 なんだ、これはっ! こんな神聖な場所で、この人だかりはっ! 驚くなかれ、これが遷宮後まもなくの伊勢神宮(内宮)の様子である。 近所の秋祭りでも、ここまでにはならない。 いや、なったとしても動かないなんてことはない。 なぜ動かないのか。 はるか遠いところから伊勢神宮を目指してやってきたのだ。 軽く手を合わして「はいさよなら」なんてとんでもない。 …とまぁ、たぶんそんなところ。 伊勢神宮の内宮に祀られているのは、 もちろん日の本の太陽神・天照大御神。 皇室の御祖神であり、私たちの総氏神様であらせられる。 今年はここ伊勢神宮が20年ごとに神殿を お建て替えする「式年遷宮」の年にあたり、 去る2013年10月2日にとり行われたばかり。 その影響がこのちょっと異常な状態を招いているのは間違いない。 (もしかしたら江戸時代のブームもこんな感じか) とりわけ今回は60年に一度行われる出雲大社の大遷宮(5月)と重なって、 マスコミにバンバン取り上げられたせいもあるだろう。 はては、数年前から続くスピリチュアルブームの影響も否めない。 それでも、それでもである。 まさかこんなことになるなんて、誰が想像しただろうか。 それにもましてさらに驚いたのは、一向に清浄さが失われていないこと。 こんなにも人が大勢いたら、よほど清められた神社の境内であっても、 人々の発するイライラでかなり乱れた気が充満するはずだが、 そんな膨大な負の感情を制してしまうのは流石という他ない。 結局、この動かない渋滞に加わる勇気が持てず、 その場で二礼二拍手一礼をして本殿を後にした。 道中、頭をかすめた親しい人たちのお守りでも…と思ったが、 社務所もまるで十日戎状態で、今回は御朱印だけいたたくことに。 境内を出る直前、池の縁にちょっとした人だかりができていた。 覗き見るとそれは見事な錦鯉たちが気持ちよさげに泳いでいる。 そんななか、ふとひときわ大きい金色の鯉が目の前をよぎる。 なんだか金運がアップしそうな気がして 悠然と泳ぐその姿をしばらくじっと見ていた。

大神神社(醸造安全祈願祭)

日本最古の神社(の一つ)と称される、奈良は桜井に座す大神(おおみわ)神社。 本殿は置かず、拝殿からご神体の三輪山(大物主神)を遙拝する。 私的に大変好きな神社の一つだが、すべてを語り始めると止まらなくなりそうなので ひとまずここは例年11月14日に行われる「醸造安全祈願祭」、 通称“酒まつり”についてのみ記すことにする。 全国に散らばる筋金入りの飲兵衛なら知っている同社の“酒まつり”。 平日でも会社を休んで参詣するという強者は意外と少なくない。 なぜならこの日は、「酒の神様」「醸造の祖神」と仰がれるご神徳を称え、 醸造元より奉納された四斗樽が参拝者に振る舞われるからである。 その日は朝から樽酒の香りがぶわっと広がり、 境内はいつにも増して和やかな雰囲気に包まれる。 ちなみにこの振る舞い酒。数年前までは樽酒のみにあらず、 全国の醸造元から奉納されたお酒がすべて振る舞われていた(現在は展示のみ)。 そんな飲兵衛の夢のようなお祭りが縮小されたのは、 ある年、どこぞの飲兵衛が無茶飲みの果てにクダをまいたり、倒れこんだり、 はては粗相をしたりと、そりゃまあえらいことをしたからという説が。。。 (実はその光景を目撃している一人) それでも、三輪山の神様から頂戴した上等な樽酒が振る舞われるとあって、 毎年大勢の人が平日にもかかわらず全国各地から参詣にやってくる。 もちろん、ボクは平日に行ける身分ではないので、 この日が休日になった年(極希)にしか行ったことないけれど。 (本年の写真はとある強者の撮影による※一部) さて、奈良の枕詞が“青丹よし(あをによし)”というのは 某小説やドラマで一時有名になったが、三輪の枕詞は“味酒(うまさけ)”。 「味酒」を「みわ」と言ったことから三輪(みわ)を導く枕詞になったという。 古来より続く日本酒の聖地は、約1300年過ぎた今もなお飲兵衛たちに愛されている。